心の傷の構造

 なぜつらい記憶は忘れられないの?

つらく、悲しく、衝撃的な出来事を体験する時、私たちは体と心と頭でその体験を記憶します。特定のきっかけ(におい、音、場所、人や物など)があの時の感情や感覚を思い出させるのは、そのためです。大きな音にびくっとする、暗くなると外出できない、タバコのにおいがすると「あの人」を思い出す、などの例があげられるでしょう。

 

「トラウマ記憶は感情記憶」といわれるのは、これが理由です。その体験がつらいほど、起こった出来事の内容だけではなくその瞬間に感じた感情や考えも記憶に深く刻み込まれます。トラウマ時の衝撃が強すぎると、刻み込まれる感情や考えと出来事の関連性に問題が生じることがあります。例えば、その関連性に偏りがあったり(例:全ての男性が信用できない)、あなたのためにならない(例:自分は何をやってもだめだ)場合です。感情記憶は時に理論的思考よりもパワフルで、こうした視点は「リアル」な事実として認識されます。

つらい記憶があなたを苦しませる時、あなたはどう対応しますか?忘れようとするでしょうか?思い出させるものや場所を避けますか?それとも気にしないように努めるのでしょうか?

 

これは「回避」と呼ばれる対処法です。

 

思い出すと嫌なこと怖いことを避けたいと思うのは、とても自然な心理です。そして​皮肉にも、つらい記憶の苦しみを長引かせる最大の原因が、この「回避」なのです。忘れようとすればするほど、その記憶へのこだわりが増し、嫌な感覚も強化されます。また、回避は様々な形で表れるため、一見回避に見えなかったり、本人が気づいていない回避もあります。(例:記憶を失う、習慣・くせなど)「忘れたいのに忘れられない」理由は、ここにあります。

苦しみの根本的原因である「回避」に注目するのが、エクスポージャー療法と呼ばれる治療法です。エクスポージャーとはさらす事。つまり、これまで避けてきた記憶や事柄にあえて直面していきます。「嫌だから避けているのに、直面なんてありえない」と考える人は少なくないでしょう。そんな時は、次の状況を想像してみて下さい。

 

あなたは、5歳の女の子が自転車に乗る練習をするお手伝いをしています。女の子が転んで、ひざをすりむきました。「もう練習するのイヤ。また転んじゃうし、自転車なんか乗れなくてもいい」と女の子が言います。あなたならどう対応しますか。「そうだね。危ないからもうやめちゃおう」と、自転車に乗ることをあきらめますか?それとも女の子が練習を続けられるように励ますのでしょうか?恐らく大半の人が、女の子を励ます方を選択をするでしょう。なぜなら1)女の子はそのうち安全に自転車に乗れるようになり、2)転んでもそのダメージは致命的でなく、挑戦し続ける価値があると判断するからです。

 

エクスポージャーも同じです。つらい過去に向き合うことには苦痛を伴いますが、トラウマを再び体験するわけではありません。安全なプロセスであり、過去から解放される可能性に挑戦する価値は大きいのです。安全で効果が高い理由から、トラウマや不安障害(恐怖症、パニック障害、強迫観念等)の優れた療法の多くには、このエクスポージャーのエッセンスが取り入れられています。

 

中でも、特に効果の高い療法である持続エクスポージャー療法(Prolonged Exposure Therapy:PE)では、2タイプのエクスポージャーを用いてつらい記憶と思考の改善に取り組みます。

<現実エクスポージャー>

実際の生活の中で避けている事柄に段階的に直面する

<想像エクスポージャー>

出来事の語りを繰り返し、つらい記憶に伴う感情と思考に直面する
 

この2つのエクスポージャーを的確にバランスよく続けると、以下のような変化が期待されます。

 

1)出来事の記憶と、それに伴う感情や思考の整理が行われる

エクスポージャーを行うと、実際に忘れていた記憶のかけらが出てくることがあります。またそれがなくても、記憶がより明確に整理されていくプロセスを実感できるでしょう。加えて、その時本当は自分が何を感じ、何を考えていたのかについての自己理解が深まるため、

「ストン」と腑に落ちる感覚で思考と感情の整理が行われます。この整理されていく感覚が、大きな安らぎと感情の安定につながります。

2)記憶に関する嫌な感じやつらい感情(恐怖、不安、怒り、悲しみ、罪悪感、恥など)が和らぐ

治療では、エクスポージャーは専門家によってより安全で効果的に実施されるので、「馴化=慣れること」が起こり、これまで避けていた記憶や事柄が気にならなくなりはじめます。また、こうした改善が記憶の最もつらい場面から、その他の場面へと広がっていく「一般化」も起こります。エクスポージャーが引き出してくれる自然な流れによって、つらい感情が気にならなくなるところまで解消されます。



3)出来事に関わる思考の再構成が行われる

トラウマ的出来事はより総体的に私たちの人生観や自分に対する見方、未来への希望に影響を与えることがあります。例えば「誰も信用できない」「自分は何をやってもだめだ」「世の中は恐ろく、危ない」といった考え方です。こうした思考が、抑うつ的症状や対人関係のトラブルといった形で現在の日常生活での障害になっているケースは少なくありません。エクスポージャーを通して思考の再構成が行われると、本当の意味で出来事を乗り越えた実感や、人生をエンジョイする感覚が得られるでしょう。



心の傷は、感情記憶(体と心と頭の記憶)であり、回避することで強化され複雑になります。この根本的な構造に沿って、改善に必要な対策とプロセスする機会を効果的に提供するのが​、持続エクスポージャー療法(PE)です。

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